学短信 -Nr.7- (2004.1.3)

乗り換え駅にて(撮影:糸井さん)

12月某日
 パッサウへ。10月につづいて二度目の訪問。前回と同じく、Synekさんの家に泊 めてもらう。同じレーゲンスブルク大学に通うマリアと、その両親であるカールさ ん、ズザンネさんとは、昨夏秋田で行われたパッサウ青少年スポーツ交流の際に知り 合った。プログラムには部分的に参加しただけだったので、いっしょに過ごした時間 は短かったにもかかわらず、そのときのことをよくおぼえていてくださって、訪ねる 度に歓迎してくれる。クリスマス後のはじめての平日、パッサウの中心部は買い物を する人々であふれている。車も渋滞気味。前回来たときは紅葉が見事だったけれど も、もうすっかり冬景色だ。
 カールさんはとにかく話好き。それも政治や社会問題の話が大好き。とにかく、何 かにつけて「日本ではどうか」という話になるので、日本の代表者になっているよう で責任を感じる。かと思えば、外から帰ってくるなり、暖炉の前に「ゲミュートリッ ヒ!(心地良い、くつろいだ感じといった意味のドイツ語)」と言いながら寝転がっ て、すぐに鼾をかき始めたりする。家風なのか、遺伝なのか、弟のシュテファンも話 し好き、かつ好奇心旺盛。彼は、今度の夏に、パッサウからの訪問団の一員として秋 田へ行くのを楽しみにしていた。
 夜、同じくパッサウ交流団に参加していたフローリアン、カトリン、クリスティア ン、それにマリアと自分との5人でクナイペ(居酒屋)に集まる。それぞれ、普段は パッサウを離れて別の街にいるのだが、クリスマス休暇で帰省中のところ、うまく連 絡がとれたのだ。カトリンいわく「この年末のハイライト」。そのカトリンは、クリ スマスプレゼントだといって缶入りのレープクーヘンを渡してくれる。オルゴールが ついていて、ねじを巻くと「もみの木」が流れてきた。
 秋田のこと、秋田の人のことが何度も話題になる。たとえそれがどんなに短くと も、ひととき、ある時間と空間を共有していたということは、それだけで、その後も ずっと繋がってゆくような固い結び目となり得るのだ。異国であるはずのドイツに、 既になつかしいと感じる人たちがいるのは、何とうれしいことだろう。
 この夜、フローリアンによれば「ドイツで一番」というヴァイス・ビールを3杯飲 み、カトリンに「リスペクト!」と言われる。

12月某日
 雪のパッサウを発ち、レーゲンスブルクへ。パッサウは大好きだけれども、レーゲ ンスブルクに戻ってくるのは、やはり嬉しい。「帰ってきた」と感じる。
 大晦日ということで、あちこちから爆竹の音が聞こえる。爆竹や花火を鳴らしなが ら歩く集団が街中をうろうろしているのだ。いつ足元に爆竹が飛んでくるかと気が抜 けない。すぐそばで破裂したために耳を悪くした人もいたと聞いたので、なおさらで ある。クリスマスを過ごしていちばん印象に残ったのは、その静けさだけれども、大 晦日は反対だ。
 夜は年越しパーティー。年が明ける瞬間、それまで部屋の中にいた人びとが花火や らシャンパンのボトルやらを手にいっせいに外へ。花火の音。爆竹の音。「新年おめ でとう!」と言いながら、そこら中の人と抱き合った。今年もよい年となりますよう に。

2004年1月某日
 年が明けて初めての仕事は、ロータリーの会合でのスピーチだった。ロータリー奨 学生は留学期間中必ず一度はスピーチしなければならないのだが、まさか新年早々に なるとは。いざ当日となるとやはり緊張して、せっかくの昼食(メニューは鰊だっ た)も落ち着いて味わえず。おまけに上座にある会長の隣の席。離れたテーブルに 座っている世話係のモンクマイヤーさんは、目が合う度に「大丈夫」とか「落ち着い て」とかジェスチャーで伝えてくる。
 40人近くのクラブ員の前で、秋田のこと、ドイツの印象、自分の専門のことなど について話す。結果としては、スピーチはまだしも、その後の質問時間が散々だっ た。質問の内容を正確に理解できなかったり、理解できても的確に答えられなかった り、語学力、自分の意見を明確に相手に伝える力、目的意識、日本についての知識や 問題意識、すべてにおいて欠けているということを目の前に突きつけられた思い。  会合が終わったあと何人かで喫茶店へ行ったのだが、下手になぐさめたり、他の話 題に持っていったりせず、良かった部分、足りなかった部分をそれぞれ指摘したうえ で、口々に「今後こういうふうにしていけばいい」と実際的なアドバイスをしてくれ るあたりが、ひょっとしたらドイツ的か。渡独後4ヶ月、いったい何をしていたのか と情けないけれども、今、この時期に活を入れてもらったのはよかったと心から思 う。ところで、「活を入れる」とは、ドイツ語でどう表現するのだろう?



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