学短信 -Nr.9- (2004.1.26)

川面にうつる大聖堂(撮影:糸井さん)

1月某日
 ブレンナー峠を越えて、南チロルへ。レーゲンスブルクのロータリークラブでは、 ここ南チロルのマウルスという場所への小旅行が冬の恒例行事となっているらしく、 今回で11年目だという。
南チロルはイタリア北部。しかし、かつてはオーストリアに属していたこともあ り、ほとんどドイツ語圏といってよい。街中の標示などは、すべて両方の言葉で表記 され、テレビも、イタリアとオーストリアの両方の放送局が入る。 参加者は30人ほど。二日目、スキー組とハイキング組と分かれて、それぞれ雪の 中を出発する。「アルプスでスキー」というのは好きな人にはたまらないのだろう が、自分は歩き組。白一色の世界だ。積もったばかりの雪はやわらかく、気を抜くと 膝まで埋まる。先頭にたって歩く人が、後続の人びとに位置を知らせるべく、ヨーデ ル。遠くまでよく響く。
 三時間ほど歩いたあと、山小屋に到着する。大きなストーブが燃えている。その周 りに集まって、誰かが到着するたびに、先に着いていた者たちが「ブラボー!」と いって拍手で出迎え。全員そろったところで昼食となる。何を飲むかと聞かれて、 ヴァイス・ビールと答えると、「バイエルンっ子になってきたね」といって喜ばれた (バイエルンでは何といってもヴァイス・ビールらしい)。四歳のクリスティーナを 除いた大きな人びとは、赤ワインを注文した一組の夫婦を除いて皆ビール。それに、 ザウアークラウトを添えた山小屋特製のソーセージ。最後には、山小屋の主人から、 サービスだといって皆にシュナップスが振舞われる。ハーブを使った、甘いシュナッ プスだった。すっかり温まる。
 道が分かっている分、帰りはやはり楽だ。雪を踏む自分の足音だけ聞こえる。途 中、そり遊びをする地元の若者たちとすれ違う。

1月某日
 夕食後、数人でホテルの裏手にある墓地まで散歩。この地域に特有の、細長い尖塔 を持つ教会の傍らにある墓地だ。小さな磔のキリスト像、それに亡くなった人の写真 が飾られた十字架が何本もたち、雪の中、ほのかに赤いろうそくの灯りが点々と散ら ばっている。「これは神の永遠の光をあらわすのだ」と、いっしょにいた人が教えて くれた。ろうそくの火は消えない。いや、消さないように灯しつづけるのだ。
 移動するバスの窓から、村を歩いているとき、そして山の中でさえ、ここでは至る ところで磔のキリスト像を見かけた。木製の磔像にはきまって傷跡が彫られ、そこか ら血がにじみ、流れている。白い身体と、その血の赤のコントラスト。
 ここでは、「信仰」が、とても生々しく感じられる。あるいは、キリスト教という 表層部分を越えて、生き死にの有様がはっきりとした色彩で表れているといってもい い。「チロル」という言葉から、牧歌的なイメージを勝手に抱いていたけれども、実 際はまったく違う。少なくとも「牧歌的」とは正反対の空気である。
 教会の鐘が鳴る。山から流れてくる水の音がする。見上げると、ぞっとするほどに たくさんの星。村の奥へとつづく道の向こうに北極星が見えた。
 墓地からさらに歩いたところにカーリング練習場がある。その側の小さな居酒屋に て小瓶のビールを買い、氷点下の中で乾杯。おごってくれた人が「Auf Japan!(日本 に!)」と言ってくれた。南チロルにて、ドイツの人びとと、日本に乾杯。


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