学短信 -Nr.12- (番外編) (2004.3.22)

ヴェネツィアの夕景(撮影:糸井さん)

2月某日
 春休みを利用して、日本からやって来た友人と二人、ミュンヘン発ヴェネツィア行 の夜行列車に乗ってイタリアへ。終着のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅を出ると、 すぐ目の前に運河が広がる。潮の匂いがする。小雨。ここもまだ寒い。
 予定はあってないようなもの。相談しながら次にどこへ行くかを決め、駅に着いた らインフォメーションで宿を探し、それから歩き始める。結局、ヴェネツィアから入 り、ミラノ、ボローニャを経由してシエナ、ローマにそれぞれ長く滞在することに。

<ローマ>
 どの街もそれぞれに印象深い。自分が今ここに立っているということに確信が持て なくなるような、ラグーナ(潟)に浮かぶ街ヴェネツィア。ボローニャから日帰りで 行った、ビザンチン様式のモザイク画が多く残る、かつての西ローマ帝国の首都ラ ヴェンナ。フィレンツェの調和のとれた華やかさ。聖フランチェスコ大聖堂を抱く、 丘の上の街アッシジの静謐。
 けれども、どこがいちばん好きかと言われたら、ローマと答えるだろう。ローマに は五泊した。インフォメーションで紹介してもらった宿は、コロッセオのそばだっ た。毎朝、コロッセオを見ながら外へ出かけてゆくという贅沢。この街では紀元前の 遺跡と現在の生活とが、当たり前のように混在している。フォロ・ロマーノにしても 他の建物にしても、無造作にそこにある。過去と現在とが断絶せずに、太い導管でつ ながっているかのようだ。
 人もいい。新聞を買おうとすると「ジャジャーン!」と言いながらにやりと笑って 取り出したお兄さん(サッカーの結果を知るべく買ったスポーツ新聞だった)、毎晩 のように寄り道したチーズ屋の店員のおじさん、その店に行く度に「何処から来たの か」と聞いて、ある日などワインを試飲させてくれた常連らしきお客。お金を落とし てゆく観光客というよりも、よそから来た人には親切にしようという感じで、自然に 親しく声をかけてくれたり、対応してくれたりする。
 もちろん、遺跡自体も美術館も素晴らしかった。サン・ピエトロ寺院にあるミケラ ンジェロのピエタ像には、ほとんど涙が出そうだった。けれども、ローマといって 真っ先に浮かんでくるのは、そこに暮らす人びとをも含めた街そのものの佇まいであ る。一見、雑然としている。車の量は多いし、交通ルールもあるのかないのか、道路 を横断するのは命がけだ。喧騒。地下鉄ではスリ未遂も体験。それでも、ローマは素 晴らしい。サン・ピエトロのクーポラから、パラティーノの丘から眺めたローマ。 ティベレ川の流れ。遠くのほう、太陽を受けて光る家々。その影の濃さ。懐の深い街 と思う。
 トレヴィの泉にもしっかり行った。もう一度来られるようにと、後ろ向きにコイン を投げた。

<サッカー>
 サッカーはイタリア語で「カルチョ」。そのカルチョの試合もいくつか観た。試合 が面白いのはもちろんだが、スタジアムの様子が街によって違うのがまた楽しい。例 えばシエナ。大抵、スタジアムは街の中心部から離れたところにあるのだが、シエナ は旧市街の中にある。規模も小さく、地方の街のサッカー場といった趣。
 このスタジアムで、シエナ対レッジーナを観戦。当日券を買い、キックオフの時間 まであたりを散歩していると、街のあちこちからスタジアムに向けて人が集まってく るのが見える。そこら中の角から、路地の奥から、ひとりで、あるいはグループで、 けれども皆同じなのは、白黒のシエナのマフラーを巻いているということだ。広場ぞ いのカフェに集まって大きな声で話している男性陣も、向こうから応援歌をうたいな がらやってくる集団も(女性も多い)、首にはマフラー。ホームゲームのときには、 出勤前にネクタイを締めて気合を入れるように、皆こうやって、マフラーをしっかり と巻いてスタジアムに足を運ぶのだろう。声を合わせて歌い、よいプレーには声援 を、相手チームには力いっぱいのブーイングを、そして、試合の経過や結果に一喜一 憂するのだ。やがて試合は終わり、週末も終わる。また新しい一週間が始まる。そう やって日々は続いてゆく。
 もうひとつ。スタジアムに限らず、いろんな街で「ナカータ」と声をかけられた。 イタリアにおいては、彼の名前は既に日本の代名詞となっているらしい。

<移動>
 移動手段は、もっぱらバスか電車だった。車窓の眺めが素晴らしかったのは、ロー マからアッシジへと向かうウンブリアの丘と、同じくローマから、逆に南下する路 線。ナポリへと向かってゆくにつれて、だんだんと風景は南の気配を帯びてくる。も う菜の花が咲いている。やがて海が見えてくる。
 イタリアの鉄道は悪名高く、実際に遅れもしたが、言われるほどひどくはなかっ た。少し遅れても、皆大きな声でいろいろ言いつつ、だいたいは辛抱強く座って待っ ている。本気で怒り出したり、不機嫌になったりする人はあまり見かけない。ナポリ からローマへと帰る電車では、何度か車内の電気が消えた。その度に、新聞を読んで いた青年やノートを広げて勉強していた女性は動きを止め、再び電気がつくのをじっ と待っていた。
 イタリアでよく出会った、ちょっとくらいうまくいかなくても、足りないものが あっても、何とかなるだろうという姿勢が好きだ。何もかも完全でなくともよいでは ないか。
 
<終わりに>
 一足先に帰国した友人と別れて、最後はひとりで再びヴェネツィアへ向かった。は じめに着いた街から、同じ夜行列車に乗り、今度はひとりで帰ることになる。
 車掌は、名札を見るとドイツの人らしい。ミュンヘン行きということで、もうドイ ツ鉄道の管轄になるのだろう。にっこり笑っての挨拶や、「グラッツェ!」というと 即「プレーゴ!」とかえってくるイタリアのリズムに数週間どっぷりつかっていたせ いか、車掌さんの淡々とした感じや固さに調子が狂う。もちろん、ドイツの人がすべ てそうだというわけではないが、何かその姿勢がドイツを象徴しているようにそのと きは感じてしまい、途端にイタリアを離れるのが寂しくなる。すっかり、イタリアに 「いかれた」らしい。
 イタリア熱はしばらく続きそうな予感。それを抑えつつ、これから、レーゲンスブ ルクでの「日常」に戻らなければならない。数週間ぶりに着いたミュンヘンは、雪景 色だった。



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