学短信 -Nr.15 (2004.4.26)

絵の描かれた家(撮影:糸井さん)

4月某日
 十月、十一月につづいて、三度パッサウへ。これで、パッサウの秋、冬、そして春 を見たことになる。快晴。桜や木蓮の花が咲き、はやくも半袖になった人びとが街中 を歩く。
 この日は、パッサウ独日協会の副会長であるテッシェンドルフ氏を訪ねた。テッ シェンドルフ氏は秋田とパッサウとの姉妹都市提携にも尽力された方である。以前、 パッサウにもゲーテ・インスティトゥートがあったのだが、そこでドイツ語を学んで いた日本人学生三人と知り合って以来、二十年ほどたった今でも交流がつづいている らしく、彼らのことを、私の日本の子どもたちとよんで懐かしそうに話す。
 パッサウから車で十五分ほど離れたフュルステンツェルにあるお宅には、その「子 どもたち」の写真や、秋田の桜の樺細工が並んでいた。テッシェンドルフ夫妻と共 に、「日本の子どもたち」のひとりが送ってきたというワカメを使ったスープに、ト マトで煮込んだ白身魚の昼食。そのあと、庭に置かれた椅子に腰掛けながら、いろい ろと話をする。
 テッシェンドルフ氏は、東プロイセンで生まれ育った。バルト海に面し、現在は ポーランドとなっているその地域は、第二次大戦前まではドイツの領土であった。し かし、敗戦とともにソ連軍が押し寄せ、そこに住んでいたドイツ系の人びとは強制的 に追われることとなる。
 小さい頃に住んでいた街の写真を見せてもらう。夏には向こう岸まで泳いだという 湖。友だちとよく遊んだ広場。そして、かつて住んでいた家。その頃のことを今でも おぼえているかと尋ねると、それはもちろん、とてもよくおぼえているという。
 その家も今はもうない。ソ連軍によって街は破壊され、地名はポーランド語に変わ り、その後、長い間訪れることすら難しかったのだ。昨年、テッシェンドルフ氏は、 自分にとっては故郷であるその地を訪ねる旅行を企画し、パッサウ近郊の人びとが多 数それに参加した。その際のビデオを三人して見る。
 ダンツィヒ/グダンスク、マリエンブルク/マルボルク、どこも皆美しい町である。 けれども、そこがかつての自分の故郷だったとしたらどうだろうか。どうしようもな く、家族や友人たちと過ごした頃を連想してしまう場所。水辺の風景や茶色の城塞は 見慣れたものでありながら、自分が知る人たちはおらず、街並は変わり、自分から遥 かに遠いところへ隔たってしまったと確認することは。そして、自ら納得して離れる のではなく、すべて置いて、追われるようにしてそこから知らぬ土地へと向かわねば ならなかったのだとしたら。
 空間的にせよ、時間的にせよ、自分の意識の問題にせよ、ある地を故郷と感じるに は距離が必要だ(あるいは「故郷」は幻想の中にしかないのかもしれない)。その距 離が無理矢理につくられ、自分では取り返せないものであった場合、その分故郷への 想いも弥増すはずである。
 テッシェンドルフ夫人はハンブルクの出身なのだが、戦後、小さい子どもの手をひ き、ほとんど着のみ着のままで東から逃げてきた女性の姿をおぼえていると話す。ま た、昨年ロータリーでクリスマスパーティーがあった際、たまたま隣り合わせになっ たご夫婦が「もともとはプロイセンの出身」と言ったのを聞いて、同席していた人が 一瞬黙ったのだけれども、そのときは、「プロイセンから来た」ということの重みが うまくイメージできなかった。
 そういう状況が確かにあったのだ。それも、ほんの数十年前のことである。戦争は 過去の話などではないのだと強く感じる。断絶せず、つながっている。つづいてい る。その痛みはまだ生々しい。
 テッシェンドルフ夫人がいたハンブルクも、ひどい空襲を受けた。椅子に腰掛け、 こちらの目を見ながら、ゆっくりと話す。小さい頃は兄弟たちと一日中外で遊んでい た。ほんとうに楽しかった。そんなある日、空襲がやってきた。そして、あのとき に、私の子供時代は終わった。
 居間の壁には古い写真が何枚もかかっている。テッシェンドルフ氏のご両親、亡く なった親しい人たち、そしてテッシェンドルフ夫妻、それぞれの子供の頃。白黒の写 真の中で、髪をおさげにした小さなテッシェンドルフ夫人が笑っている。
 国や民族という外側からの力によって、人間が翻弄される。それまでの暮らしが根 こそぎ奪われる。ドイツだけでなく、世界中で繰り返し起こり、未だに起こり続けて いることである。帰りたくとも帰れない故郷。それはどこかの街なのかもしれない し、かつて自分が幸せだった時代であるのかもしれないが、そうした失われた故郷を 抱える人びとが大勢いるということを、きちんと受け止めて考えていかねばならな い。

 夕方、テッシェンドルフ夫妻に車で送ってもらい、フローリアンとカトリンのとこ ろへ。今日はふたりのところに泊めてもらうのだ。二月に引っ越してきたばかりの二 人の新居は、イン川が見下ろせる高台にあり、何といってもテラスがあるのがいい。 さっそくテラスに置かれたテーブルにて夕食をとる。夜になるとまだ肌寒い。イン川 の向こうから、遠く列車の音が聞こえる。国境を越え、オーストリアへと向かう列車 である。


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