学短信 -Nr.16 (2004.5.24)


ヴルタヴァ川の流れとプラハの赤い屋根(撮影:糸井さん)

5月某日
 母親がやって来る。初めての海外ということで緊張してるのではないかと心配して いたのだが、機内では隣席となったイタリア人男性と片言の英語で会話するなど、楽 しく過ごしてきたらしい。「母親がひとりでやって来る」「ドイツ語はわからない」 ということを話すと、こちらの人は皆「mutig!(勇気あるね)」と言っていたが、同 感である。
 ふたりで街中を歩いていると、なぜかよく声をかけられた。学校帰りらしい男の子 三人組が「ハロー」と口々に言ってきたり、年配の女性が路地にてすれ違うときに 「さようなら」とにっこり微笑んでくれたり、お店では隣りに座ったおじさんが写真 を撮ってあげようと申しでてきたり、ひとりのときにはあり得ない頻度だ。日本人が ふたりいると観光客だとはっきりわかるからか、母の人柄か、それともふだん私は よっぽど怖い表情をして歩いているのか。

5月某日
 ドイツの五月は五月祭の季節だ。この時期、電車に乗って車窓を眺めていると、 Maibaum(五月柱、英語でメイポールと呼ばれるもの)をよく見かける。20メート ルほどの高い木の柱で、てっぺんには木の葉や花で編まれたリースやリボンなど、色 とりどりの飾りが付けられている。村にひとつずつこのマイバウムを建てるのが慣わ しで、緑の色も濃くなる五月、その周りで踊ったり、飲み食いしたり、上に登って遊 んだりするのだ。
 村ごとに用意するこのマイバウムだが、五月に入って実際に柱を立てるまでの間 は、村の若者たちが夜通し見張っていなければならないのだという。なぜかという と、余所の町からマイバウム泥棒が現れるため。自分たちのマイバウムを盗まれた村 は、相手が要求する身代金(だいたいは食料やビール)を払って返してもらわねばな らず、何より村の不名誉となる。ロータリーでお世話になっているカリンさんは、盗 んだマイバウムをトラックに乗せ、歓声を上げながら大喜びで道路を走ってゆく集団 を見かけたことがあるらしい。
 金曜日の夜、ローターアクトの面々の企画によって、ビール祭りが旧市街の一角に て行われる。マイバウムこそないものの、五月と秋とに皆で集まってビールを飲むの は「バイエルンの伝統」という。準備時の話し合いで「ビール以外のアルコールは用 意しないのか」という意見に、「それは許されない」との断固とした答え。また、 ビールはひとりあたり2.5リットルと計算しているのを聞いて、いくら何でもと 思ったのだが、宴が始まってみると順調に消費されてゆく。ドイツ人を甘く見てはい けなかった。

5月某日
 週末を利用してプラハへ。プラハは、レーゲンスブルクからはそれほど遠くない。 車ならば三時間、直通のローカル列車で五時間である。国境を越えたところで、車掌 がチェコの人に代わった。チェコ語の響きをはじめて聞いたけれども、とてもやわら かい。滞在中に「ドブリーデン(こんにちは)」「ドーバルダン(さようなら)」 「ジェクユ(ありがとう)」だけ何とかおぼえる。
 旧市街を抜け、カレル橋へ向けて歩く。細い路地がつづき、地図を持っていても 迷いそうになる。ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックなど、何世代もの建 築物が混在しつつ、それらが「プラハ」という街として調和している。様々な時代、 様々な文化のせめぎあい、混交、それらが積み重なり沈殿している重層性こそがプラ ハの特徴だ。それでいて、閉塞感はない。街をゆく人はそろって背筋がのび、颯爽と 歩いてゆく。古都でありながら、これからまだまだ成長してゆくかのような、勢い、 活気を感じる。チェコがEUに加盟して、これから変化も加速してくだろうけれど も、この街の人びとは、どんな状況になっても、きっとたくましく対処してゆくだろ うと思える。
 このプラハにしても、ドイツにしても、街を歩いていてよく考える。人を惹きつけ るのは目新しいアトラクションやショッピングモールではなく、その地に根差した街 並なのだ。その地ならではのものを見て、感じたいのだ。新しいものを無計画に移植 するのではなく、調和を考える。既にあるものを大切に活かしてゆく。「新しいもの が美しいわけではない」といった友人がいたが、その通りと思う。そして、その根底 にあるべきなのは「自分の住む場所に愛情をもつ」ことではないか。
 それにしてもチェコは食事が美味しい。街の人びとが仕事帰り、学校帰りに立ち寄 るような食堂に入ったのだが、そこで食べた豚肉のクリームソースがけ(チェコの伝 統料理らしい)は素晴らしかった。付け合せのフライや酢漬けキャベツも絶妙。かな りの量があったのだが、あまりの美味しさに軽くたいらげる。ビールがまたよし。留 学先がドイツではなくチェコだったら、間違いなく体重が増えていただろう。危ない ところだった。


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