学短信 -Nr.17 (2004.6.2)

レーゲンスブルクの東の門(撮影:糸井さん)

5月某日
 聖霊降臨祭にあたる5月28日から31日にかけて、Tage Alter Musik なる古楽 祭がレーゲンスブルクで開催された。この音楽祭では、中世からルネサンス、バロッ クを経て、ロマン派に至るまでの時代の音楽の演奏会が、大聖堂や教会、旧市庁舎な どの街中に点在する歴史的な建物において行われる。20回目となる今年は、レーゲ ンスブルクの大聖堂の聖歌隊であるDomspatzenとAkademie fuer Alte Musik Berlinの共演によるハイドンのオラトリオ「天地創造」で幕を開けた。
 街のあちらこちらに茶色をベースとしたこの音楽祭のポスターが貼られ、石橋のた もとに臨時に開設されたインフォメーションには連日人が大勢集まって賑やか。一日 中どこかしらで演奏会が開かれており、さらに入場料はそれほど高くなく、当日券も 楽に手に入るとあって、思い立ったときにふらりと聞きに行けるのがよい。夫婦、友 人同士、あるいはひとりで。きちんとドレスアップしている人もいれば、普段着のま まふらりとやって来ている人も。客層は様々だが、音楽を楽しみに来ているという点 は同じで、とにかく雰囲気が明るい。この演奏会を目的に来た人や偶然居合わせた旅 行者の他、レーゲンスブルクに住んでいる人がやはり多い様子で、「今日は休日だ し、音楽でも聞きに行ってみるか」と出かけてきたような感じの気軽さが、そうした 明るさを生んでいるのかもしれない。
 期間中、いくつかの演奏会へ行ってみた。Cappella Artemisiaというグループによ る、16、17世紀のイタリア女子修道院でうたわれていた聖歌の演奏会は、夜の 11時近くからドミニカーナー教会にて行われた。外からの光の入らない夜更けの教 会はほんとうに暗い。あらゆる気配が闇に吸い込まれるかのような夜の教会では、声 がどこまでも深く響くのだと知った(今回、教会の音響のよさをつくづくと感じ た)。
 旧市庁舎内のホールで行われた、リュートとギターのアンサンブルによるイタリ ア、スペインのバロック・ルネサンス音楽の演奏会も、ボロディン、リムスキー・コ ルサコフといった19世紀ロシアの作曲家を取り上げたオーケストラもよかったが、 一番は何といっても南部イタリアに伝わる舞曲「タランテラ」を演奏したパリのグ ループだ。それまで聞いたどの演奏会も淡々として、ややもすれば上品すぎると感じ ていたのだが、このL'Arpeggiataは、ボーカル二人(これはイタリアの人だった)も 楽器の演奏者もときには立ち上がりながらの熱演。こういうのが聞きたかったのだと 思わず興奮する。
 「タランテラ」は8分の3拍子や6拍子といった速いリズムに乗せて、カスタネッ トやタンバリンを鳴らしながら演奏されるのだが、生じた場所や対象とした人びと が、教会や宮廷ではなく、実際の街や村の中であったというのが特徴か(後に、様々 な作曲家たちにこのリズムが頻繁に使われていくことになる)。それにしてもイタリ ア。独訳された歌詞を見ても感じるように、常に死を想いながら生を愛する、どこか 翳りのある明るさが「タランテラ」にはあるけれども、それはそのまま旅行中に感じ たイタリアの印象につながる。あの感覚はいったいどこから来ているのだろう。
 演奏会によっては客の反応がそれほどよくなく、皆正直だと思っていたが、この演 奏会に限っては、最後、大勢が立ち上がってブラボーの嵐。両親に連れて来られたら しい小さな男の子二人も一生懸命に拍手している。
 音楽祭の締め括りは、やはり教会にて、ケルンの合唱隊とアンサンブルによって ビーバーのMarienvesperが演奏される。今回座った二階席からは舞台も客席もよく見 えた。ふと目をやると、祭壇の上方、同じ視線の高さに木彫りの天使がいる。大きな 翼を持ち、下を見つめている。その先に演奏者も、それを聞く人びともいる。  終演後、お客は名残惜しそうにいつまでも拍手をやめない。演奏者たちも、何度も 現れては深々と礼をする。音楽祭も終わってしまった。音楽に思う存分浸っていられ た数日間は過ぎて、明日からまた普通の毎日が始まる。これもまた祭りのあとの寂し さか。帰り道には、満ちる少し手前の大きな月が、ぼんやりとかすんで浮かぶ。夜道 はまだ少し肌寒い。

http://tage-alter-musik.allmusic.de/(Tage Alter Musikのページ)


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