学短信 -Nr.19 (2004.7.8)

レーゲンスブルク・聖オズワルド教会(撮影:糸井さん)

6月某日
 パッサウの独日協会にてスピーチ。会場である川岸のお店に行き、会合が行われる 部屋の場所を店員さんに尋ねると、「Deutsch-Spanische Gesellschaft?(独西協 会)」と口にしてから、あわてて「Deustch-Japanische(独日)」と言い直した。 ちょうどテレビで放映中だった、サッカー、ヨーロッパ選手権(ユーロ)スペイン対 ギリシャの様子が気になっていたのかもしれない。
 二十人ほどの協会員の方々の中、秋田のこと、ドイツでの体験などについて話す。 スピーチは場の空気に大きく左右される。実はこの日、スピーチ用にとあらかじめ書 いていた原稿を忘れてきてしまい、いったいどうなることかと思ったのだが、その場 のあたたかい雰囲気に助けられ、落ち着いて話すことができた。カトリンとフローリ アンが付き添って来てくれたのも心強かった。それとも、「気付け用に」といってフ ローリアンが注文してくれたヴァイス・ビールがよかったか。
 会場にはパッサウの市長さんもいた。スピーチ後の質問の中に「ドイツの食べ物は 大丈夫か」というものがあって、問題ないと答えていたのだが、市長さんは帰り際、 「私も日本の食事が大丈夫だとよいのだけど」と笑いながら声をかけてくださった。 七月下旬、市長を含むパッサウからの一行が秋田へ向かう。
 それにしても、パッサウは来るたびにほっとする街だ。友だち、知り合いがいるか らというのもあるが、それ以外でも、学生、協会員の方々、そろって気取るところが なく、ドイツ語でいうところの「locker(堅苦しいところがなく、くだけていると いった感じ)」な人たちばかりである。パッサウという街がそこに住む人を自然にそ うさせるのだろうか。
 会合が終わったあとは、フローリアンとカトリン、そして会合で知り合ったご夫妻 といっしょに、新しくできたというアジア料理店にて夕食。久しぶりに箸で食べる外 食がうれしい。帰り道、通りに面したカフェでは、テレビを囲むようにしておじさん たちが席についていた。皆、真剣な表情。画面では、今度はポルトガル対ロシアの試 合を放映中である。「ユーロは今のところ最重要事項」とカトリンが言う。

6月某日
 引き続き、サッカー、ヨーロッパ選手権開催中。テレビでは地上波で毎日全試合生 中継。バスに乗れば学校帰りの男の子たちが優勝候補について話し合い、本屋には サッカー本コーナーが設置され、講義中ですら教授が昨日の試合の様子など差し挟 む。
 ドイツの試合がある日の寮はすごかった。試合開始とともにテレビルームは大騒ぎ だ。応援歌、歓声、ブーイング、ドイツがゴールを決めたときなど建物が揺れたかと 思った。そのドイツ代表はよいところのないまま予選リーグで敗退。そもそも、あま り期待されてはいなかったようだが、実際に敗退となるとやはりショックではあった らしく、「昨日は一晩中友だちと自棄酒していた」という二日酔いの女の子も。そう いう自分も一生懸命に試合を見ていたせいで、ドイツ語のサッカー用語にはずいぶん 詳しくなった。
 それにしても、ブンデスリーガに所属している(あるいは所属していた)、チェ コ、ギリシャ、デンマークなどの外国人選手たちが、試合後のドイツ語でのインタ ビューに、これまた流暢なドイツ語で答えているのには感心する。イタリア語を自由 に扱う中田英寿を「すごい」と思って見ていたけれども、ある国でプロとして仕事し ていくために、あれは当然のことなのだ。言葉をおぼえて、そこではじめて同じ フィールドに立つことができる。日本人にとって、まったく違う構造を持つ言葉をマ スターするのは難しいのは確かだけれども、そこを埋めてこそのプロである。という ことを、海外クラブに所属する何人かの日本人選手を思い浮かべつつ考えた。

6月某日
 ロータリーの地区大会に参加する。レーゲンスブルクのロータリークラブはバイエ ルン東部とザクセン地方が合わさった地区に所属しているのだが、今回はチェコ、ス ロバキアの地区との合同で大会が開催される。会場であるカルロヴィ・ヴァリ(ドイ ツ語名でカールスバード)は、チェコ西部の温泉街だ。レーゲンスブルクからは、車 で二時間半ほどである。
 温泉が発見されたのは14世紀と古いのだが、高級保養地として人が集まり始めた のは19世紀に入ってからという。バッハ、ベートーヴェンといった音楽家から、 ゲーテ、トルストイといった文学者、あるいはビスマルク、マルクス、それに王侯貴 族まで、多くの人びとが、このボヘミアの谷あいの街に保養に訪れたらしい。ホテル やレストランが立ち並び、道沿いには宝石や服など高級品を売る店が連なり、劇場、 それにカジノ、かつてここでどんな社交の世界が繰り広げられたことか。それでも、 街を囲む山々の緑は深く、真ん中を流れる川の流れもあいまって、雰囲気はゆったり としている。
 街中には「コロナーダ」とよばれる柱廊を持つ施設がいくつもある。コロナーダで は温泉の源泉を飲むことができるようになっており、そのためのカップがそばで売ら れていたりもする。空き時間は、同じく大会に参加していたフランスからの奨学生と いっしょにカルロヴィ・ヴァリの街をぶらぶらと歩きながら、いろんな話をした。彼 女はドレスデンで機械工学を勉強している。いくつか日本語を知っているといって教 えてくれたのが、「こんにちは」「さよなら」、そしてなぜか「てんとうむし」。小 さい頃からてんとう虫が好きだったという彼女。部屋の中で使っている机に自分でて んとう虫の絵を描き、さらに世界各国の言葉で「てんとうむし」と書いているのだと いう。
 最終日の夜、会場であるホテルでの食事会では、チェコの若い人たちと同席となる が、皆そろってドイツ語、英語とも堪能なのに驚く。いくつもの国と陸続きで国境を 接しているヨーロッパでは、きっと「言葉」の果たす役割が考えている以上に大きい のだ。特にチェコのように小さい国ならば、なおさら。
 食事会の途中で会場を抜けると、ロビーのテレビの前に人だかりが見える。ここで もサッカー。オランダ対スウェーデンの準々決勝だ。ロータリーの人、一般の宿泊 客、それにホテルの従業員までいっしょになってPK戦の行方を見守っている。 「(サッカー的に)ドイツにとってオランダは長い間因縁の相手」ということで、場 の空気は圧倒的にスウェーデン寄り。オランダ勝利が決まったときにはため息ももれ ていた。


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