学短信 -Nr.21(番外編) (2004.9.4)

ブルガリア、プロブディフの街並(撮影:糸井さん)


 ドイツへ出発する前から、滞在中にきっとトルコへ行こうと決めていた。友人夫妻 がトルコ音楽を学ぶためイスタンブールに滞在しており、彼らを訪ねたいというのが 理由のひとつ、それにヨーロッパとアジアが交わる場所を見てみたかったのだ。
 結局、帰国直前、八月前半にトルコへと渡る。ドイツからイスタンブールへは飛行 機で二時間半である。着陸も間近になった頃、眼下に海が広がった。黒海である。 レーゲンスブルクを通り過ぎたドナウはやがてここへと注ぐのだ。
 イスタンブール。かつてビザンティン帝国の首都だったときはコンスタンティノー プルと呼ばれたところ。長い長い間、「都」でありつづけた場所だ。空港からのバス は旧市街へ入り、橋を渡り、海沿いを走る。いくつもの丘と、そこにぎっしりと並ぶ 建物とのパノラマが広がる。モスクがあり、塔があり、正教の教会跡があり、古い時 代のギリシャ人居留区があり、その間を無数の人や車がうごめいている。ローマとい い、都と呼ぶにふさわしい街に特有な性質は「混交」かもしれないと思う。
 イスタンブールはボスフォラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側にわかれてお り、その間を、橋を渡るか、フェリーを使うかで行き来する。いったいどれだけの船 が、どんな人びとを乗せて、このボスフォラス海峡を通り抜けていったのか。カッパ ドキアへと向かう夜行バスをハレムというアジア側のバスターミナルでひとり待ちな がら、向こう岸に広がる夜景を眺めた。あれがヨーロッパの灯りか。つい数日前にそ こからやってきたというのに、ずいぶんと遠くを見る思いになる。

 トルコでは、とにかく人とよく喋った。「トルコ人はお客に対して親切」と聞いて はいたのだが、実際に訪ねてみて、その親切ぶりは予想をはるかに越えていたし、ま た、ほんとうによく声をかけてくる。バスに乗れば、居合わせた女性がバス停でいっ しょに降りて目的地まで連れていってくれ、教会を見学に行けば「まあ茶でも一杯」 ということでチャイ(紅茶)が出てきて、切符切りのおじさんと肩を並べてグラスを 手にすることになる。
 雨の日、イスタンブールの旧市街で友人夫妻と共にアヤ・ソフィアとブルーモスク を見学したあと、近くの喫茶店で雨宿りしたことがあった。偶然隣の席に警官がふた り座ったのだが、友人夫妻がトルコ語を話せるのを知って、すっかり腰を落ちつけて 話し込む態勢に。勤務中にこんなにゆっくりしていてよいのかと思い始めた頃、友人 の通訳を介して、「どうしてそんな年齢なのにまだ結婚していないのか」と聞かれ、 さらに「時間はどんどん過ぎていってしまうよ」。もっともである。「英語もできて 独身の同僚を紹介しよう」「明日ここにまた来なさい」などと言っていたらしいが、 とりあえず断った。イスタンブールで警官の嫁になるという人生は果たしてどんなふ うだったか。
 旅行者ともよく話した。ひとりで行ったカッパドキアでは現地一日ツアーに参加し たのだが、参加者の国籍は他にフランス、スペイン(スペインではなく「バルセロ ナ」と言ったあたりにカタロニア魂を感じた)、イギリス、イエメン、自分の他に一 人旅の日本人男性がひとり、それにオランダに移住して里帰り中というトルコ人と、 昼食の席でひとりが口にしたように、「インターナショナル」。「こういう場にはふ つう必ずドイツ人がいるのに、珍しいね」とイギリスはマンチェスターからやって来 たジョンは笑っていたが、そこは自分がドイツ代理ということにしておいた。
 トルコからはバスでブルガリアへ抜けたのだが、そこでも大勢の旅行者に会った。 たいていは大きなリュックを背負った若者である。無愛想で挨拶してもろくにこちら を見ない者もいれば、話がはずむ人もいる。イスタンブールからのバスの中で隣の席 になった女の子はプラハ在住で、チェコにはビール以外にも美味しいお酒があるから 飲みに来るといいと言って住所を渡してくれた。ブルガリア中部、プロブディフとい う古い街で泊まった宿には、自転車でイタリアからクロアチアを抜けてブルガリアへ 入り、イスタンブールを目指すというローマ出身のイタリア人男性がいた。韓国の人 も多かったが、皆やさしかった。夏は旅の季節なのだろう。ひととき荷物を下ろし、 出会った相手と言葉を交わしては、またそれぞれの目指す場所へと向かってゆく。
 プロブディフのレストランで夕食をとったとき、テレビではちょうどアテネオリン ピックの開会式が放映されていた。ブルガリア名物であるショプスカ・サラダを食べ ながら、ここからそれほど離れてはいないアテネでの様子を画面越しに眺めた。例え ば日本で、ドイツで、あるいはトルコで、いろんな人たちがいろんな思いで、同時に この開会式を見つめているのだ。

 帰りは、ブルガリアはプロブディフからミュンヘンへの直行バスに乗る。セルビ ア、クロアチア、スロベニア、オーストリア、そしてドイツ。バルカン半島を横断し つつ国境をいくつも越え、一日でパスポートに大量の出入国スタンプが押された。セ ルビアの山間の村々を抜け、真夜中、ベオグラードの灯りを遠くに臨み、クロアチア では木立の中のまっすぐな道をひたすらに走った。何度か停まった休憩所では、夜中 というのに果物を並べて売る男性がおり、ラジオからはセルビア民謡が流れる。トイ レでは大抵チップが必要なのだが、ユーロのコインを見せて「これでもいいか」とい うと「OK」と言われた。
 この路線は普段ブルガリアの人しか使わないらしく、そこにいきなり日本人がひと り乗り込んできたということでずいぶんと珍しがられた。バスの車掌さんは「日本の パスポートは初めて見た」といって、嬉しそうにパラパラとめくり、そのあとも「何 か飲みものは?大丈夫?」といって、ストローを添えたコーラやらコーヒーやらを せっせと(しかも特別に)持ってきてくれ、隣の席になったおばあさんは、パンやお 菓子や飴玉など何か口にするたびに、にっこりと笑いながら必ず半分こちらにも差し 出してくる。ミュンヘンの大学に留学中という女の子は通訳係をかってでてくれ(車 内の案内はすべてブルガリア語だったのだ)、夜には、お母さんがつくったのか、丁 寧に薄紙でつつまれたサンドイッチを「あなたにも」といってひとつ手渡してくれ た。しまいには「皆に向かって何か日本のことについて話してくれ」ともたのまれ る。
 プロブディフからミュンヘンまで30時間。同じバスの中で丸一日もいっしょに過 ごすと自然と一体感が生まれてくるもので、ミュンヘンに到着したときには運転手に 対して拍手が起こった。プロブディフのバスターミナル、家族や親しい人たちに見送 られて笑顔で乗り込んだこの人たちも、今からはひとり異国人としてドイツの街中へ 散らばってゆくのか。つらい思いやさびしい思いもしているだろうか。そんなふうに しんみりとしていたのだが、いざバスから降りてみると、ほとんどの人は親族や友人 が迎えにきており、そこここで再会を喜び合って、ほんとうにひとりきり異国の街へ と足を踏み出すのは自分くらいのものなのであった。大きなリュックを背負って、地 下鉄でミュンヘン中央駅まで向かった。景気付けに駅にてヴァイス・ビールを一杯飲 んだ。


もどる