学短信 -Nr.22(最終便) (2004.9.4)


 帰国して一週間となりました。フランクフルト空港から離陸した飛行機の窓越し に、少しでも長くドイツを見ていようと一生懸命目をこらしていたのも、もうずいぶ んと以前のことのように思えます。あれはひょっとして夢だったのではないか。自分 はほんとうにあの街で一年を過ごしたのか。そう思ってしまうほど、あっという間の 一年間でした。
 目の前に砂時計が置かれているかのように、時間の流れを絶えず意識させられる 日々でした。自分に与えられた時間は限られている。周りの人たちと共にいられる時 間もまた限られている。そうした中で、一日一日をいかに過ごすか。
 八月後半は、帰国準備と送別会とで怒涛のような日々でした。何度も足を運んだ パッサウ、ロータリークラブの人びと、学校の友だち、また、ロータリーの若者版で あるローターアクトの面々は小さなパーティーを開いてくれたのですが、テーブルに 並べられた揚げ物には、自分たちで印刷し、ハサミで切り、ひとつひとつ爪楊枝に貼 り付けたというドイツと日本の国旗が飾られていたのでした。それにしても、何人か から手渡されたお別れの品の中にビールジョッキ(それも大型)がふたつもあったの は、自分がドイツでどのように過ごしてきたかをよく表しているということでしょう か。
 決まって言われた言葉。きっとまたドイツに来るでしょう。その度に「もちろん」 と答えていました。ドイツはどんな国だったとか、ドイツ人はどんな人たちだったと か、滞在期間が長くなればなるほど答えるのは難しくなってゆきますが、あの国と、 あの土地に暮らす人たちがとても好きになったことは確かです。もちろん、ちょっと おかしいと思うところも、難しいところもあるけれども、例えば他から悪く言われる と腹が立つ。
 そしてレーゲンスブルク。『オルフェウスの窓』というレーゲンスブルクを舞台に した漫画があり(なぜかレーゲンスブルク大学の図書館にも入っています)、その中 に出てくる「我が心のレーゲンスブルク」というフレーズを冗談のように友人への手 紙で使ったりしていたのですが、一年たった今では、照れ臭いながらも心の底からそ う感じています。レーゲンスブルクを発つ前の晩、何人かで、この日始まったばかり のDult(お祭り)へ行き、ビールを飲みました。帰り道、大聖堂のかたわらに大きな 月がかすんで浮かび、その影がドナウに落ちていました。まだ響いてくるお祭りの賑 わい、音楽、それらを背中に聞きながら、この先、何をしていても、どこへ行ったと しても、あの街のことを、ドナウのほとりで暮らしている人たちのことを、きっとど こかで考えているだろうと思いました。「やられた」というのが本音です。
 自分がいなくなっても、あの街での時間は過ぎる。そして、日本に帰ってきた自分 にもまた新しく時間が流れる。カールスバードで知り合ったサロメがドレスデンでの 一年間の生活を終え、フランスへ帰った直後に送ってきてくれたメールの中にこうあ りました。この一年、ほんとうに楽しかった。何もかも、皆素晴らしかった。これか ら先はたぶん、こんなにも色鮮やかな日々ではないだろう。けれども “Das Leben geht weiter” 、人生はつづく。
 約一年細々と書いてきましたが、読んでくださってほんとうにありがとうございま した。最後に、「お気に入りの居酒屋が見つかりますように」と書いた短信1号のこ とばに対する答えは、あまりにも好きな居酒屋がありすぎて絞り込めない、というこ とで。「見つかりますように」どころか「見つかりすぎた」のでした。
 再訪を心に誓いつつ

 2004年9月4日 糸井美樹子


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