ンブルク大学サマースクール2008(第5回)



干潟を歩いて来ました.

干潟を歩く.

干潟を歩いて島に到着.
 

Neuegammew
強制収容所を見る.

被拘留者の役割体系図.


こうして煉瓦を作っていた.

煉瓦や陶磁器の工場


収容所の粗末なベット.

収容所全体模型.
 
St.Jacobi教会.

8月24日(日)(23時20分)
今日はNEUWERKという場所に行ってきました。
干潟を12キロ歩いて来ました。 集合時間は朝7時半、Neuwiedenthal駅です。 寮のある駅から電車に乗って約40分、中央駅からは22分かかります。
発音を教えてくれているマイケさんの運転で1時間半Cuxhavenに到着。 そこから裸足になって歩きます。 案内人のおじさんの後をついて3時間ひたすら干潟を歩きます。
私の表現力に乏しい文章はさておき写真をご覧下さい。 ズボンをたくし上げて水に浸かりつつ歩いていることを確認していただけると思います。 とにかく景色が素敵です。
クヌートというアフリカから飛んできている鳥(全長20ー30センチ)が食べた貝の貝殻が貝塚のようになっています。
遠目から見ると白くてきれいなのですが、足の裏を切りました。しかし、裸足で歩くのは楽しかったです。
ガイドのおじさんの説明を理解出来たり、質問出来たりすることも楽しく言葉というものは机の上で勉強するものでないということが分かります。 日本で勉強してきたことは無駄ではないですが、ドイツで暮らし様々な経験をすることが言葉を習得する近道だと思います。 簡単な言葉「stimmt」「genau」についても様々な使い方があるようです。 機会がありましたら、お伝えしたいと思います。

ドイツ滞在は良いことばかりではありません。
今朝、中央駅で酔っ払った2人組の男性に「中国人か?」「O×△?ーー○×■」(中国語のマネ)、「ワチャー」と言って叩かれました。
ハンブルク大学の大学院に通っている日本人の先輩にお伺いしたら、「先生がアジア人の歴史や文化を理解しようとしなくて悲しい思いをするし大変だよ。」と言っていました。 少しだけその意味が分かったような気がします。 差別などだけでなく、色々と嫌なことを経験しましたが、それでも留学を続けてきたのは、今日まで出会ってきたドイツ人が素敵だからです。

8月23日(土)
Neuengamme強制収容所
ドイツに来て初めて英語を使いました。 膨大な資料を読み、説明を聞きました。 ここでは、43000人の死者が出ました。 ガス室に運ばれて虐殺されたのではなく、強制労働で死にました。 死者の殆どは男性ですが、女性もいました。 建物建設のための煉瓦作り、売りさばいて戦争の資金を作るための陶磁器、実際に展示されていますが、見ていると胸が締め付けられます。 私には「私はこんなことで死にたくなかった」と聞こえてきました。
入所後、下半身やヒゲなどの毛を剃られ、屈辱的な行為にショックを受け、服従をし、粗末なベットで就寝し、労働に身をささげお亡くなりになられた方々の冥福を祈ります。 なんとも表現しにくいですが、一度ご覧になって下さい。
私は、自由に生きようと思えば選択できるという環境に感謝しました。 戦争や徴兵制についての私的なコメントは避けますが、人が人の自由を奪う権利はないと私は思う、とだけ書いておきます。

8月22日(金)
チューターのカタリーナさんとその友達カコさんと他のクラスの参加者、6人でカフェに行きました。 カタリーナさんはポーランド出身です。
カフェで話した内容
「den」「dem」3格4格支配、他動詞と自動詞についての談議。
ポーランドの行き方
ここハンブルクからポーランドまでバスが出ているとのことです。 8時間80ユーロ。
カコさんとはタンデムパートナーになりました。 タンデムとは、私がドイツ人に日本語を教え、ドイツ人は私にドイツ語を教えるという仕組みで友人付き合いすることをいうようです。
カコさんは日本語とドイツ語が本当に良くできるので、私が教えることはないのですが、私は相変わらず積極的に話しているので、話していることの動詞を正しく選択するようにとアドバイスを受けました。 瞬時に思いつかないときは「so」と言って間を持たせることは、こちらに来て出来た友達のOさんにアドバイスを受けたので、動詞を思い出すまで「so」 で頑張りたいと思います。

8月21日(木)
チューターのニルスさんと女の子6人で大学近くのBALZACカフェへ。
スターバックスのようなカフェです。 ニルスさんとのおしゃべりは特になにか深い話でもなかったのですが、サマースクールが残り僅かとなって、チューターとの交流の回数が増えます。

8月20日(水)
St. Jacobi教会でオルガンコンサート、チケット代は5ユーロ(学生割引)でした。
Bachがその昔、オルガン奏者になろうと試験を受けに来たこともある歴史のある教会で、Bachの曲を聴きました。


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