ンブルク大学サマースクール2008(第7回)<最終回>



Hagenで乗り換えてPlettenbergへ

Kennedydamm近くの喫茶店


Operで注文したSuppe

Plettenbergから
中心街に向かう途中にて

Plettenbergの中心街

Plettenbergの家並み

Plettenberg市庁舎

Plettenberg

REの車内にて

オペラ

オペラその2

この中で資料を見ます

デュッセルドルフの夜景

デュッセルドルフ公文書入り口,
容易に入れないように
常に閉まっています

デュッセルドルフ市庁舎前

ドイツのビール


ベートーベンの像

ボンへ

ボン大学

ボン大学側の庭

優先席のマーク,
席を譲りましょう!

同居人の作るケーキ

地下鉄の車内,結構汚いです

歌劇が始まる前

私の好きな居酒屋

荷物のロッカー,ハンガー
もあるので上着
をかけることが出来ます

9月7日(日)最終回
今まで読んで下さり有難うございます。
西出のドイツ滞在はまだまだ続きますが、研究に集中するため今回で最終回とさせていただきます。
つたない文章を最後まで読んでいただき有難うございました。

さて、私が現在、公文書館で拝見させていただいている文書類は、デュッセルドルフと研究対象の遺族の方々などから特別な許可を得ています。 その許可を得るために9ヶ月かかりました。
3人の教授(いずれもドイツ滞在のドイツ人教授)が私のために手続きと私を迎え入れる準備をして下さいました。名前を書くのは差し控えさせていただきますが感謝してもしきれない思いで一杯です。

9月1日(月)
公文書館初日
本当に許可を得てあるのか不安を抱えながら出向きました。
建物の入館には、ベルを押し、用件と名前を伝えなければなりません。 入口のドアの施錠が開き中に入ります。 資料を拝見する部屋の受付で用件と名前を伝え、閲覧しようとする資料の利用方法、目的などを用紙に記入します。目的の欄に“大学教授の資格を得るため”という項目もあり、身が引き締まる思いがしました。 受付の方に「5分後にあなたを担当するArchivarが来るから座って待っていなさい」と言われました。

ArchivarのJ.N氏と打ち合わせ。
私が公文書館で研究するにあたり、なにかとお世話してくれる方です。 私のファイルも出来上がっていて、私が閲覧したいもの、研究対象をどの視点から調査したいかもすでに教授から聞いておられていましたが、更に「こんな本はどうか」と参考までに先行研究の文献も紹介いただきました。
研究対象が5人とのやり取りした書簡30通に目を通して帰宅。疲れました。 同居人の作るドイツ料理を食してシャワーを浴び就寝。

9月2日(火)
前日に請求した大量の資料を読みました。
手書きのものに関しては読めないところが多々あります。 名前・日付・病名(研究対象が抱えていた病名)・出版する本の題名について考えているとの内容くらいしか分かりません。 特に縦の欄にある走り書きが読めない・・頭を抱えてしまうので、複写請求しました。日本に帰ってからの宿題です。

17時半Heinrich-Heine-Alleで同居人と待ち合わせ。
同居人が、私がまったく観光していないことにショックを受けて、誘い出してくれました。 市庁舎、教会、ドイツ料理とビール。 しかし、頭の中は研究対象のことで一杯です。

9月3日(水)
今日も書簡を読みます。
年代を絞っていたことを反省して、近年のものも請求して読みました。 亡くなる6ヶ月前に、研究対象に対して教え子が送った書簡を読み、その内容に涙が出ました。 私が思ったとおり、慕われていた人だったと確認できただけドイツ語を勉強してドイツに来て良かった。間違いでなかったと思えます。

Heinrich-Heine-Alleの周辺を散歩したら、一軒の酒場を発見。まだ16時40分というのに、盛り上がっている店外の軒下と店の中に惹かれて店内へ。 近くの教会で働くドイツ人2名(男性・女性)、アーヘンから来ている消防士と計4名で19時まで飲みました。

9月4日(木)
今日も書簡を読みます。
研究対象の書いた文字には慣れてはきたものの、研究対象の妻が書いた手書きの書簡に頭を抱えます。 その前後にタイプされた書簡の内容から、推測をして読みますがモザイクがかかったように分からない・・・それでも粘って他の資料と比較し、読みましたが、たった1通に費やされる時間が2時間とは・・効率が悪くて情けなくなります。

気分転換にボンへ。
中央駅より16時27分出発
ボン大学とその周辺を見学。田舎と聞いていましたが、H&Mなどの衣料品店などお店が沢山あります。 一軒の本屋さんでDUDENのドイツ語文法書などの本をまとめて買い物しました。 手紙の書き方の参考書は重宝しそうです。日本で買うことを比べれば安いですが、重いです。 ボン大学を抜けたところにある庭で休憩。 ベートーベンの像の前のお店で夕食。 ハンブルクと変わらない値段に「高い」と感じました。
22時37分デュッセルドルフ中央駅に到着しました。

9月5日(金)
昨日購入した本、資料、服(ハンブルク大学と書かれてあるトレーナー)などを日本に送るため、UPSとDeutsch Post(DHL)とで値段を比較。
11キロ(DHLのダンボールの規格ではLサイズ)の送料。
・UPS 302ユーロ(5日間)ダンボール・ガムテープ・梱包費無料、クレジットカード使用可、着払いの場合宛先人がUPSのアカウントを持っていること。 ※「高い!」と言ったら4ユーロ安くしてくれました。交渉しだいではもう少し安くなるかもしれません。

・DHL  82ユーロ(10日間)ダンボール・ガムテープ有料(2ユーロ)・梱包は自分で。ECのみ使用可。

とにかく日本へ送るのはお金がかかります。

午後から公文書館へ
今日も書簡を読みます。
研究対象と生涯に渡って交流のあった人物に関しては交わす書簡も大量で、複写請求もおのずと増えます。

日本食の買出しでImmermann通りへ。
・あじの干物(ドイツ産)一尾 8ユーロ
・出汁入り味噌 4.80ユーロ
・豆腐     1.20ユーロ
ジャガイモとキャベツの味噌汁を作りました。 豆腐は冷奴で食べました。 同居人から、「何を一番先に食べるのか?」と聞かれました。 日本の家庭では前菜・メイン・デザートという順番で食べないことを伝えました。

9月6日(土)
私の研究対象が晩年を過ごし、お墓もあるPlettenbergへの日帰り旅行。
Plettenbergの駅から中心街まで5キロ?の道のり。バスも出ているのですが、歩いてみました。 5キロくらい大したことがないと思って歩いていたのですが、足が痛くなりました。どうしょうと思ってベンチに座って足をさすっていたら携帯に電話がありました。 「今、講演が終わって東京から電話しています。西出さんお元気ですか?」 と名古屋と東京の大学で憲法を教えておられるI先生から電話がありました。

I先生はドイツ語の論文を読む指導をして下さる先生ですが、「どうしても読めません」と投げ出してしまう私を元気づけるわけでもなく、ただ「さあ次は何が書いてある」としごいてくれる先生です。 おかげで法律の専門用語を覚えました。

Plettenberg駅
駅には沢山の落書き・鼻をつまみたくなる悪臭が漂っていましたが、のどかな田舎町です。Plettenbergの中心街へはバスが出ています。 ドイツらしい家も沢山見かけることが出来ました。 中心街では食事も出来ます。本屋・服屋・ドイツ銀行もあります。キャッシュコーナーもあるので田舎といっても便利に出来ています。

情報と異なり、研究対象のお墓を見つけることが出来ませんでした。 またPlettenbergには行くので、その時にお墓参りをする予定です。

9月7日(日)
19時半開演の歌劇を観にOperへ。
Die Entfuerung aus dem Serail『後宮からの誘拐』モーツァルトの歌劇
演出が私には刺激的すぎて当惑しました。
36.50ユーロ
22時半までオペラを楽しみました。 会場を出てしばらくすると706番の路面電車が来ました。 とにかく猛スピードで走りました。 23時10分帰宅。

―ドイツ語の学習について―
ドイツ語でもどの言葉でも同様ですが、丁寧な言葉使いをしようと努めています。
また、ドイツでは全く英語を使わなくてよいかというとそうでもありません。
ハンブルク大学では1年間で資格を取得するプログラムがあって、そういった授業は英語で行われます。また、受講生は英語しか話せないことのほうが多いので、コミュニケーションもおのずと英語になります。寮が同スペースならなおさらです。 大学のテキストも英語であることが多いです。 ドイツで学ぶということに高度な英語力も必要だと感じています。

―私の今後―
日本の大学院修士課程を卒業したら、ドイツで勉強する予定です。
1年の交換留学制度を使ってドイツに再度訪れるようと考えていることをハンブルク大学の先生に相談したら、「1年の交換留学制度は日本人の学生のためのプログラムなので、ドイツ語もそんなにできるようにはならないし、日本でブランクを空けることになるのは時間の無駄です」「それならば日本の大学院で修士号(Magisterを取得したことになるので大学を最初からやり直さなくてよい)を取り、ドイツに研究に来なさい」とのことでした。 現実的なアドバイスを受けて、目標が明確になりました。

―研究について―
大量のNachlassを目にし、一生涯続けても終わらないかもしれない、しかし、やり遂げてみたいと思えています。

学部生の私に対して、3人の教授(特にProf.Dr.J.B、Prof.Dr M.H)が動いて下さいました。
落ち込んで目標を失っていた私に対して、「あなたの視点はおもしろく、興味深い、あなたの研究活動を心から歓迎します」という文章を送ってくださり、デュッセルドルフおよび遺族、その友人に対してNachlassの公開をお願いして下さったことに感謝します。 Archivar、J. N氏
もしかしたら、私のドイツ語に頭を抱えていませんか?
それでも今日までご指導いただけて感謝しています。
職員の皆さま、特にいつも裸足でサンダル(お名前を度忘れしました)のおじさま。
閉館45分前から帰り仕度をされるのに、閉館5分前に複写請求などの事務処理をお願いしていますよね。
いつも嫌な顔しないで、処理して下さり有難うございます。
※今週このホームページを職員の皆さんと読む予定です。私のつたないドイツ語解説付き

また、ハンブルク大学のサマースクールへの参加は広島大学のK.I先生が快く受け入れて下さいました。有難うございました。
ハンブルク大学AAIの皆様、有難うございました。
沢山の貴重な経験と友人を作る機会とドイツ語を自学自習していく力を身につけることが出来ました。

最後に、秋田日独協会および野村先生にはホームページへの記載を快く歓迎していただきました。心より感謝いたします。
野村先生に呼び出してもらって秋田出身の皆さんと飲む日は、自分が自分らしくいられる貴重な時間です。 先生と秋田とのつながりは、私にとってかけがえのないものです。どうか今後とも宜しくお願いいたします。 その他にも、沢山の先生方や友人が応援して下さいました。 本当に感謝しています。


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